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〜7〜
それが訪れたのは、新月まで七夜を残す日の夕刻であった。
外出から戻ったイルカは、憮然とした面持ちで居間を通り抜け、寝室のドアを開いた。
男の姿がない。
部屋の角に置かれていた、暗部の装備一式もなくなっているのを確かめ、イルカは居間に戻った。
卓袱台の前に腰をおろし、ポットの湯で茶を淹れる。
ぬるい茶を啜り、ようやく終わったのだと思うと、肩の力が抜けた。
戌面の男のチャクラは完全でないにしろ、簡単な術を発動させ得る程度には回復していた。酉面の暗部が示した期日までには間があったが、何か中忍風情の知るところではない理由で、男は本来の棲み処へ帰ったのだろう。
―――任務終了。あとは、忘れりゃいい。
研ぎ澄まされた抜き身のような男を思えば、未練よりも安堵が先に立つ。
―――一言ぐらいあってもいいだろうに。
ふと考え、しかし、別れの挨拶をする男の様子など思い浮かばず、イルカは苦笑した。
途端、背筋が凍りつく。
身動きも叶わぬほど圧倒的な力、殺意。
いつか突き付けられたそれとよく似た異質な気配が、イルカを床にねじ伏せていた。
咽喉を締め上げられ滲むイルカの視界に、見知らぬ男の貌が迫った。
「悪く思うな……楽には死なせん」
やかましく響く耳鳴りの中、憎々しげにザラつく声だけは、やけに明瞭に聞こえた。
―――思うに決まってるだろうが、畜生ッ。
抵抗しようにも、指一本すらイルカの思う通りにはならず、意識を落とさないように気道だけを絞り上げている、硬い手指に戦慄する。
死にたくない、と思った瞬間、鈍く不気味な衝撃とともに視界が開けた。
イルカを襲った忍は、壁に叩きつけられるほどの勢いで頸椎を蹴り砕かれ、絶命していた。
ひとりの暗部の手によって。
あらぬ方へ頸を曲げた骸を見下ろしていた暗部は、イルカが立ち上がると同時に振り向いた。その貌を覆う見馴れた戌の面は、しかし、イルカにはどこか違ったものに見えた。
男の腰にもう一つ、色褪せ左眼の欠けた戌の面が括りつけられている。
―――片眼の戌。
それが本当の男の姿なのだろうと、何故かそう思えた。
「こいつ、かなーり危ないことに噛んでた上にオレを狙ってた奴でね、ずっと探してたの。木ノ葉に居るってことは割れてたんだけど、なかなか網にかからなかった」
男の気怠げな口調に、イルカは眼を細める。
「アンタと会った日に、偶然なんだけど、標的に雇われてたのがこいつの女房で」
そうと知らずに始末してたみたい、と竦められた男の肩に、窓辺から掌ほどの梟が飛び移る。
―――そういうことか。
偶然。内容を知らされない任務。運の悪い中忍。
男が部屋に引きこもっていようと、仲間への連絡手段などいくらでもあった。だが、敢えて姿を現した酉の暗部。
もっと早く気がついてもよさそうなもので、そう出来なかったのは己の私情からだと、反省するでなく納得したルカの頭脳は、感情だけを麻痺させたように醒めていた。
淡々と紡がれる男の言葉は無用のものだ。
指し手が手駒に盤面の意図を説明する義務などない。冷徹な男に、そんなものを語らせる思いがあるとしたら、それは利用されたイルカに対する罪悪感か、憐れみか。
―――そんなこたァない。
頭の中の、醒めたイルカは手厳しく吐き捨てていた。
「こいつは元々の草じゃないし、里もない。だから敵討ちを考えるかもしれない。オレが倒れたと知れば襲ってくるかもしれない」
「あなたの女を狙うかもしれない?」
当て推量を口にしてみれば、ずいぶん自虐的に聞こえて、イルカは戸惑った。
「ま、オレには決まった女がいなかったんで、ご迷惑を」
子供のように残酷な言葉を隠さない男だ。どう捻くろうと長所に数え難いそれが、イルカは嫌いではなかった。
「任務ですから。ところで、いつから治っていたんですか」
「十日ぐらい前かな。こいつのコトもあったし、アンタはオレのチャクラが戻ったら追い出すつもりだったでしょ」
決めつける男の読みは正鵠を射ていたが、しかし。
「酷い人だ」
つい漏らした本音は意外なくらい重みを持たず、口元に張りついたままの苦笑にまぎれた。
「ま、もう酷いコトはできないしね、悪い犬に咬まれたと思って忘れてよ」
「悪い犬、ですか」
笑わせる。なんて云い草だ。
「そ。首輪が付いてる、狗」
悪びれず、肩に彫られた暗部の徴を指し示す。
男が狗ならば、狗に抱かれた自分もまた、人ではないのだろう。
空虚な自嘲に囚われながら、イルカは男の肌に踊る歪んだ炎を見つめていた。
その後、交わす言葉もなく。
男は無言のまま部屋を出て行ったきり、戻って来なかった。
[続]
2002/09/17〜2004/11/03
それが訪れたのは、新月まで七夜を残す日の夕刻であった。
外出から戻ったイルカは、憮然とした面持ちで居間を通り抜け、寝室のドアを開いた。
男の姿がない。
部屋の角に置かれていた、暗部の装備一式もなくなっているのを確かめ、イルカは居間に戻った。
卓袱台の前に腰をおろし、ポットの湯で茶を淹れる。
ぬるい茶を啜り、ようやく終わったのだと思うと、肩の力が抜けた。
戌面の男のチャクラは完全でないにしろ、簡単な術を発動させ得る程度には回復していた。酉面の暗部が示した期日までには間があったが、何か中忍風情の知るところではない理由で、男は本来の棲み処へ帰ったのだろう。
―――任務終了。あとは、忘れりゃいい。
研ぎ澄まされた抜き身のような男を思えば、未練よりも安堵が先に立つ。
―――一言ぐらいあってもいいだろうに。
ふと考え、しかし、別れの挨拶をする男の様子など思い浮かばず、イルカは苦笑した。
途端、背筋が凍りつく。
身動きも叶わぬほど圧倒的な力、殺意。
いつか突き付けられたそれとよく似た異質な気配が、イルカを床にねじ伏せていた。
咽喉を締め上げられ滲むイルカの視界に、見知らぬ男の貌が迫った。
「悪く思うな……楽には死なせん」
やかましく響く耳鳴りの中、憎々しげにザラつく声だけは、やけに明瞭に聞こえた。
―――思うに決まってるだろうが、畜生ッ。
抵抗しようにも、指一本すらイルカの思う通りにはならず、意識を落とさないように気道だけを絞り上げている、硬い手指に戦慄する。
死にたくない、と思った瞬間、鈍く不気味な衝撃とともに視界が開けた。
イルカを襲った忍は、壁に叩きつけられるほどの勢いで頸椎を蹴り砕かれ、絶命していた。
ひとりの暗部の手によって。
あらぬ方へ頸を曲げた骸を見下ろしていた暗部は、イルカが立ち上がると同時に振り向いた。その貌を覆う見馴れた戌の面は、しかし、イルカにはどこか違ったものに見えた。
男の腰にもう一つ、色褪せ左眼の欠けた戌の面が括りつけられている。
―――片眼の戌。
それが本当の男の姿なのだろうと、何故かそう思えた。
「こいつ、かなーり危ないことに噛んでた上にオレを狙ってた奴でね、ずっと探してたの。木ノ葉に居るってことは割れてたんだけど、なかなか網にかからなかった」
男の気怠げな口調に、イルカは眼を細める。
「アンタと会った日に、偶然なんだけど、標的に雇われてたのがこいつの女房で」
そうと知らずに始末してたみたい、と竦められた男の肩に、窓辺から掌ほどの梟が飛び移る。
―――そういうことか。
偶然。内容を知らされない任務。運の悪い中忍。
男が部屋に引きこもっていようと、仲間への連絡手段などいくらでもあった。だが、敢えて姿を現した酉の暗部。
もっと早く気がついてもよさそうなもので、そう出来なかったのは己の私情からだと、反省するでなく納得したルカの頭脳は、感情だけを麻痺させたように醒めていた。
淡々と紡がれる男の言葉は無用のものだ。
指し手が手駒に盤面の意図を説明する義務などない。冷徹な男に、そんなものを語らせる思いがあるとしたら、それは利用されたイルカに対する罪悪感か、憐れみか。
―――そんなこたァない。
頭の中の、醒めたイルカは手厳しく吐き捨てていた。
「こいつは元々の草じゃないし、里もない。だから敵討ちを考えるかもしれない。オレが倒れたと知れば襲ってくるかもしれない」
「あなたの女を狙うかもしれない?」
当て推量を口にしてみれば、ずいぶん自虐的に聞こえて、イルカは戸惑った。
「ま、オレには決まった女がいなかったんで、ご迷惑を」
子供のように残酷な言葉を隠さない男だ。どう捻くろうと長所に数え難いそれが、イルカは嫌いではなかった。
「任務ですから。ところで、いつから治っていたんですか」
「十日ぐらい前かな。こいつのコトもあったし、アンタはオレのチャクラが戻ったら追い出すつもりだったでしょ」
決めつける男の読みは正鵠を射ていたが、しかし。
「酷い人だ」
つい漏らした本音は意外なくらい重みを持たず、口元に張りついたままの苦笑にまぎれた。
「ま、もう酷いコトはできないしね、悪い犬に咬まれたと思って忘れてよ」
「悪い犬、ですか」
笑わせる。なんて云い草だ。
「そ。首輪が付いてる、狗」
悪びれず、肩に彫られた暗部の徴を指し示す。
男が狗ならば、狗に抱かれた自分もまた、人ではないのだろう。
空虚な自嘲に囚われながら、イルカは男の肌に踊る歪んだ炎を見つめていた。
その後、交わす言葉もなく。
男は無言のまま部屋を出て行ったきり、戻って来なかった。
[続]
2002/09/17〜2004/11/03
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