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陽に灼けて色褪せた黒髪。
鼻筋を断つ一文字の傷。
躰の肉置きは厚くなったかもしれない。
賑やかにまとわりつく子供達に囲まれて、あなたは本当に楽しそうに笑う。
その通る声が喘ぎにくぐもるさまも、服に隠された肌の温もりも覚えているけれど、そんな笑顔は知らない。
明るい陽の下で。
「はじめまして」
笑うあなたが見たかった。
「えー、はたけカカシです。よろしく、イルカ先生」
朗らかな挨拶に応えて名を呼べば、訝しむように小首を傾げるので、はしゃぐ子供の金髪を掴んで云ってやる。
「お噂はかねがね。コイツらから」
素直に納得したらしく、イルカ先生がにっこりと笑う。
可愛い。
昔よりも頬が削げ、ずいぶんと男臭くなった面差しが、それでも可愛らしく思えた。
心臓を鷲掴みにされたような感じがする。俺に向けられた笑顔を見るのは初めてで、しかも、こんな間近にいるんだから、少しは手加減して欲しい。
走りだしそうになる鼓動を静め、初対面らしく当たり障りのない会話を選びながら、柄にもなく迷う自分に気がついた。
―――ねえ、イルカ先生。
胸のうちで名を呼ぶだけで、震え出しそうになる。
苦しくて、たまらない。
逢えて嬉しい。ずっと逢いたかった。
遠い夜空の下、独りきりで俺を憎んでいるだろう人を思うと胸が痛くて、馬鹿だった自分が情けなくて、涙が出た。まるでヒトみたいに。
ひとつだけ云いたいことがある。
告げる為に、素顔より自分らしかった白い面を外した。
引き換えに下忍指導を任されたのは幸運と思えたが、実際のところは、暗部を辞めたいなんて奴を目の届かない場所に飛ばすほど、上の方も馬鹿じゃないってだけだろう。
里の忍になって、しばらくは人に戻る為のリハビリ。ヒトの言葉で話せるようになるまではと、自ら禁じてイルカの姿を遠目に眺めることすらしなかった。
―――ごめんなさい。
散々傷つけて悲しませて、云えた義理じゃないけれど、好きだった。
惨い日々を思い出させる言葉に、許しを期待している訳じゃない。ただ、云わなけりゃ俺は、これから先も狗のままなんだと思う。
恨むにしても、分別のないケダモノよりは、卑怯な男の方が心置きなく憎めるだろう。だから、我慢して聞いて欲しい。もう二度と困らせたりしないから。
勝手な言い分だとわかってはいるが、そう簡単に腐った性根が変わる訳もなく。
それを証明するように、未練がましく迷っている。
もしも、イルカが忘れていれば。
タチの悪い狗のことなんか忘れて幸せならば、辛い過去を蒸し返すべきではないのかも知れない。
イルカが〈はたけカカシ〉に笑いかけてくれるなら、自分の名でやり直せるなら、俺は一生、狗の尻尾を引きずっても構わないと考え始めている。
今更。
側にいるだけで、こんなにも気持ちが揺らぐ。
西の山に引っ掛かった太陽の光が眩しい。
長い影を曳いて、子犬達がそれぞれの家路を駆けてゆく。
見送るイルカの眼差しは優しく、一匹だけつまらなそうに歩いて行く奴を呼び止めて、どうでもいいようなことを話しかけながら、大きな手で黒い毛並みをくしゃくしゃと撫でている。
―――煩そうな振りをしてるソイツはさ、俺のことは呼び捨てなんだけど。
おっかなくて優しいイルカ先生、短気なイルカ先生、それから何だっけ。野暮ったいけど可愛いイルカ先生。
流石に女の子は見るところが違う、というか、教師まで男の勘定に入れてるのが怖い。あの怖いイキモノ達に可愛い男だと云われるのは好かれてる証拠だから、きっと良い教師なんだろう。
あいつらに何度となく聞かされたイルカ先生は、俺の知らない貌ばかりで、どんなふうなのか想像も出来なかった。
俺はイルカを怒らせて、困らせてばかりいたから、他に覚えているのは泣き顔ぐらいだ。
それが、こんなに笑うなんて。
「カカシ先生は、このあと暇ですか」
「はあ」
唐突に問われて、つい真面に視線を合わせてしまった。
どうですか、と指先で猪口を傾ける仕草。
ふわりと微笑む貌に見惚れ、考える前に頷いていた。
連れられて入ったのは小体な造りの居酒屋で、酒も料理もまずまずといったところだったが、上機嫌なイルカと小上がりに差し向かい、俺は内心、困り果てていた。
「あいつら、きっと今回は戻ってくるだろうと思ってて。まさか合格するなんて」
「ええ、俺も」
頷けば、イルカは驚きもせず目を細める。その穏やかな表情は、いつか遠い昔、見上げる俺の頭を撫でてくれたヒトにどこか似ていた。
「そうでしたか。三人とも?」
「三人とも。あなたの前ですが、まったく駄目でしたね」
「じゃ、どうして」
「なんか馬鹿みたいに真っすぐでしょ。揃って明後日の方を向いてるけど」
云えば、声を上げて笑う。
よほど気掛かりだったんだろう、いつも必ずひとりだけ弾き出されてきた生徒が。
あの子は確かに特殊だが、格別に忌むべきものとは考えられなかった。昔の俺に比べれば、はるかに人間らしく真面に育っていたから。
真っ向から俺に挑んできた眼差しは、色こそ違えど、目の前にいるヒトによく似ていた。
そんなことは口にしなかったが、イルカはじっと俺を見つめて、安心したように小さな息をついた。
「カカシ先生が担当で、よかったです」
「そうかな。わかりませんよー」
そんな眼で見ないでくれと、逃げ出したくなる。
思いのほか〈カカシ先生〉に懐きつつあるイルカに前科を曝し、古傷を抉るのは気が引けて、さりとて急に突き放す訳にもいかず、身動きが取れない。
イルカが素直な言葉を紡ぐほど、無邪気に笑うほどに、強く身を搦め捕られるような思いがした。
まずいだろう、これは。
イルカも。
俺も。
一度だけ、笑顔が見られれば充分だと思っていたのに、目にしてしまえば欲が出た。
笑っていて。
俺だけに笑いかけて。
俺だけのものになって、あの時みたいに。
あの時も、今も。
戦場で育ち、暗部の水に馴染んでいた俺が、澱んだ水底で抱えていた思いを、イルカは知らない。
大河ほどの敵の血によっても贖いきれないものを奪われ、それを悼む為にだけ生き抜いてきたことを、俺は誰に語ったこともない。
忘れられないのは、彼等が与えてくれたからだ。
日々の糧と忍の技の他には求めるものもなく、任務に忠実なだけの傲慢な木偶が、望むことすら知らなかったものを惜しみなく与え、唐突にいなくなった人々。
何よりも大切なものを失った過ちが痛くて、傷口が塞がらなくて、いつまでも流れ続ける血に、二度と癒されることはないのだと思った。
薄汚い血を振り撒きながら、他人もまた苦痛を感じるということに安堵していた、愚かさ故に孤独だった生き物。
そんな醜い獣に情けをかけた、哀れなひと。
都合よくあった任務をかさにきて、お人よしの中忍を戯れに傷つけ、忿りでも憎しみでも、何かつよく自分に向けられるものを期待して、優しくなんてしなかった。
欲にまかせて貪り奪っただけなのに。
俺を求めてくれた。
与えられても上っ面の言葉すら返せない自分を、一時の感傷にしろ望んでくれたひとは初めてで、ひどく打ちのめされたのを覚えている。
悲しく、愛しかった。
互いの記憶だけを残し、思いも告げられず去るしかなかった俺の為に流された涙を止めようもなく。
思い出すだけで胸の奥が燻るような、白日夢に重ねた体温。傷だらけの肌身にこもる熱。甘い痛み。
イルカが幸せであればいいだとか、困らせたくないだとか、薄っぺらな自己欺瞞は容易く引き剥がされて、俺は浅ましい獣に戻っている。
イルカのどこかに俺の刻んだ傷痕が残っていればいいと、肚の底では酷いことを願っていた。
何のことはない、鎖から放たれたところで俺の本質が変わることなどなく、飢えた野良犬に成り下がっただけだ。
情けないことに。
[続]
2002/10/05〜2004/07/25(11/26改稿)
鼻筋を断つ一文字の傷。
躰の肉置きは厚くなったかもしれない。
賑やかにまとわりつく子供達に囲まれて、あなたは本当に楽しそうに笑う。
その通る声が喘ぎにくぐもるさまも、服に隠された肌の温もりも覚えているけれど、そんな笑顔は知らない。
明るい陽の下で。
「はじめまして」
笑うあなたが見たかった。
「えー、はたけカカシです。よろしく、イルカ先生」
朗らかな挨拶に応えて名を呼べば、訝しむように小首を傾げるので、はしゃぐ子供の金髪を掴んで云ってやる。
「お噂はかねがね。コイツらから」
素直に納得したらしく、イルカ先生がにっこりと笑う。
可愛い。
昔よりも頬が削げ、ずいぶんと男臭くなった面差しが、それでも可愛らしく思えた。
心臓を鷲掴みにされたような感じがする。俺に向けられた笑顔を見るのは初めてで、しかも、こんな間近にいるんだから、少しは手加減して欲しい。
走りだしそうになる鼓動を静め、初対面らしく当たり障りのない会話を選びながら、柄にもなく迷う自分に気がついた。
―――ねえ、イルカ先生。
胸のうちで名を呼ぶだけで、震え出しそうになる。
苦しくて、たまらない。
逢えて嬉しい。ずっと逢いたかった。
遠い夜空の下、独りきりで俺を憎んでいるだろう人を思うと胸が痛くて、馬鹿だった自分が情けなくて、涙が出た。まるでヒトみたいに。
ひとつだけ云いたいことがある。
告げる為に、素顔より自分らしかった白い面を外した。
引き換えに下忍指導を任されたのは幸運と思えたが、実際のところは、暗部を辞めたいなんて奴を目の届かない場所に飛ばすほど、上の方も馬鹿じゃないってだけだろう。
里の忍になって、しばらくは人に戻る為のリハビリ。ヒトの言葉で話せるようになるまではと、自ら禁じてイルカの姿を遠目に眺めることすらしなかった。
―――ごめんなさい。
散々傷つけて悲しませて、云えた義理じゃないけれど、好きだった。
惨い日々を思い出させる言葉に、許しを期待している訳じゃない。ただ、云わなけりゃ俺は、これから先も狗のままなんだと思う。
恨むにしても、分別のないケダモノよりは、卑怯な男の方が心置きなく憎めるだろう。だから、我慢して聞いて欲しい。もう二度と困らせたりしないから。
勝手な言い分だとわかってはいるが、そう簡単に腐った性根が変わる訳もなく。
それを証明するように、未練がましく迷っている。
もしも、イルカが忘れていれば。
タチの悪い狗のことなんか忘れて幸せならば、辛い過去を蒸し返すべきではないのかも知れない。
イルカが〈はたけカカシ〉に笑いかけてくれるなら、自分の名でやり直せるなら、俺は一生、狗の尻尾を引きずっても構わないと考え始めている。
今更。
側にいるだけで、こんなにも気持ちが揺らぐ。
西の山に引っ掛かった太陽の光が眩しい。
長い影を曳いて、子犬達がそれぞれの家路を駆けてゆく。
見送るイルカの眼差しは優しく、一匹だけつまらなそうに歩いて行く奴を呼び止めて、どうでもいいようなことを話しかけながら、大きな手で黒い毛並みをくしゃくしゃと撫でている。
―――煩そうな振りをしてるソイツはさ、俺のことは呼び捨てなんだけど。
おっかなくて優しいイルカ先生、短気なイルカ先生、それから何だっけ。野暮ったいけど可愛いイルカ先生。
流石に女の子は見るところが違う、というか、教師まで男の勘定に入れてるのが怖い。あの怖いイキモノ達に可愛い男だと云われるのは好かれてる証拠だから、きっと良い教師なんだろう。
あいつらに何度となく聞かされたイルカ先生は、俺の知らない貌ばかりで、どんなふうなのか想像も出来なかった。
俺はイルカを怒らせて、困らせてばかりいたから、他に覚えているのは泣き顔ぐらいだ。
それが、こんなに笑うなんて。
「カカシ先生は、このあと暇ですか」
「はあ」
唐突に問われて、つい真面に視線を合わせてしまった。
どうですか、と指先で猪口を傾ける仕草。
ふわりと微笑む貌に見惚れ、考える前に頷いていた。
連れられて入ったのは小体な造りの居酒屋で、酒も料理もまずまずといったところだったが、上機嫌なイルカと小上がりに差し向かい、俺は内心、困り果てていた。
「あいつら、きっと今回は戻ってくるだろうと思ってて。まさか合格するなんて」
「ええ、俺も」
頷けば、イルカは驚きもせず目を細める。その穏やかな表情は、いつか遠い昔、見上げる俺の頭を撫でてくれたヒトにどこか似ていた。
「そうでしたか。三人とも?」
「三人とも。あなたの前ですが、まったく駄目でしたね」
「じゃ、どうして」
「なんか馬鹿みたいに真っすぐでしょ。揃って明後日の方を向いてるけど」
云えば、声を上げて笑う。
よほど気掛かりだったんだろう、いつも必ずひとりだけ弾き出されてきた生徒が。
あの子は確かに特殊だが、格別に忌むべきものとは考えられなかった。昔の俺に比べれば、はるかに人間らしく真面に育っていたから。
真っ向から俺に挑んできた眼差しは、色こそ違えど、目の前にいるヒトによく似ていた。
そんなことは口にしなかったが、イルカはじっと俺を見つめて、安心したように小さな息をついた。
「カカシ先生が担当で、よかったです」
「そうかな。わかりませんよー」
そんな眼で見ないでくれと、逃げ出したくなる。
思いのほか〈カカシ先生〉に懐きつつあるイルカに前科を曝し、古傷を抉るのは気が引けて、さりとて急に突き放す訳にもいかず、身動きが取れない。
イルカが素直な言葉を紡ぐほど、無邪気に笑うほどに、強く身を搦め捕られるような思いがした。
まずいだろう、これは。
イルカも。
俺も。
一度だけ、笑顔が見られれば充分だと思っていたのに、目にしてしまえば欲が出た。
笑っていて。
俺だけに笑いかけて。
俺だけのものになって、あの時みたいに。
あの時も、今も。
戦場で育ち、暗部の水に馴染んでいた俺が、澱んだ水底で抱えていた思いを、イルカは知らない。
大河ほどの敵の血によっても贖いきれないものを奪われ、それを悼む為にだけ生き抜いてきたことを、俺は誰に語ったこともない。
忘れられないのは、彼等が与えてくれたからだ。
日々の糧と忍の技の他には求めるものもなく、任務に忠実なだけの傲慢な木偶が、望むことすら知らなかったものを惜しみなく与え、唐突にいなくなった人々。
何よりも大切なものを失った過ちが痛くて、傷口が塞がらなくて、いつまでも流れ続ける血に、二度と癒されることはないのだと思った。
薄汚い血を振り撒きながら、他人もまた苦痛を感じるということに安堵していた、愚かさ故に孤独だった生き物。
そんな醜い獣に情けをかけた、哀れなひと。
都合よくあった任務をかさにきて、お人よしの中忍を戯れに傷つけ、忿りでも憎しみでも、何かつよく自分に向けられるものを期待して、優しくなんてしなかった。
欲にまかせて貪り奪っただけなのに。
俺を求めてくれた。
与えられても上っ面の言葉すら返せない自分を、一時の感傷にしろ望んでくれたひとは初めてで、ひどく打ちのめされたのを覚えている。
悲しく、愛しかった。
互いの記憶だけを残し、思いも告げられず去るしかなかった俺の為に流された涙を止めようもなく。
思い出すだけで胸の奥が燻るような、白日夢に重ねた体温。傷だらけの肌身にこもる熱。甘い痛み。
イルカが幸せであればいいだとか、困らせたくないだとか、薄っぺらな自己欺瞞は容易く引き剥がされて、俺は浅ましい獣に戻っている。
イルカのどこかに俺の刻んだ傷痕が残っていればいいと、肚の底では酷いことを願っていた。
何のことはない、鎖から放たれたところで俺の本質が変わることなどなく、飢えた野良犬に成り下がっただけだ。
情けないことに。
[続]
2002/10/05〜2004/07/25(11/26改稿)
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