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「桜を、見てました」
唐突にイルカが言った。
「昔、この樹に登って火影様に叱られたんです。桜はよわい樹だから瑕をつけるな、って………花も樹も儚いから、こんなに綺麗なのかも知れませんね」
憂いに沈んだイルカの眼差しは、カカシをいたたまれない気持ちにさせた。
イルカは、自分の大切なものを知っている。大切なものどもを守る為には、たとえ生命を賭しても譲らない。そんな彼の強さと脆さを、カカシは愛しく思う。
愛しく、恐ろしい。
里の為に身を捧げる。それは木ノ葉の忍すべてが覚悟するところであるが、イルカの献身は、むしろ無意識の情動に近い。
その身と引き換えに火影を救えたというのなら、イルカは迷わず差し出すだろう。
そんなふうに覚悟もなく易々と死なれては、残された者がたまらない。
イルカは決して知りも望みもしないだろうが、彼の内にひそむ危うさを恐れ、放ってはおけないと感じているのは、カカシだけではない。
定められた義務からではなく、他の犠牲たろうとする者こそ、非情の忍をして守りたいと思わせる存在なのだから。
「……でも、この桜は強いよ」
これ以上、思い詰めるイルカを見るのはやり切れなくて、カカシは稲荷桜に歩み寄った。
訝しげに見守るイルカの前で、幹の中ほどにある節くれ立った部分を拳で叩く。
「カカシ先生!」
咎める声音に構わず、カカシは再び同じ場所を小突いた。
「ここ。知ってるでしょ、十三年前にアイツの爪が抉った跡だよ。それでも枯れなかったし、こんなふざけた時期にまで花を咲かせてるんだから」
イルカは何も言わなかった。
カカシをじっと見つめたまま、泣き笑いのような表情をして頷いただけだった。
今ならば、カカシにも分かる。
失うことを考えるだけで痛みを覚えるほど、愛しいものもあるのだと。
木枯らしがみっしりと花をつけた枝々を吹き抜け、いたいけな花弁を散らす。
満開の桜が散る。
無数の花びらが二人を巻き込みながら、風に舞う。
不意に、イルカの姿が遠ざかるように見え、花吹雪に攫われてしまうのではないかと思えた。
「ねぇ、イルカ先生」
「なんですか?」
呼びかけに振り向いた顔の、いくぶん落ち着いた表情までが儚く感じられ、どうしようもない胸騒ぎに切羽詰まって、カカシは禁を破った。
「あなたが好きです。好意とか友情じゃなくね」
口からこぼれた声は、自分でも驚くほどに真摯な響きを帯びていた。
一瞬、イルカの瞳が戸惑いに揺らぎ、次には、口元へ困ったような微笑が浮かんだ。
「はい」
それが承諾なのか相槌なのか、短すぎる返事からは汲み取りようもなく、問い返すつもりで片眉を上げたカカシへ、イルカがはっきりと頷いた。
「そうじゃないかと思ってました」
意外にも平静な素振りで答えられた。
「やっぱり、あからさま過ぎでしたかね」
用もないのに受付へ顔を出し、事あるごとに絡んで、親しくなった後にはアカデミーへ、イルカの自宅へと頻繁に通った。「鈍いオレに分かるように、わざとそうされたんでしょう」
必要以上に馴れ馴れしく語りかけ、イルカの肩を抱いたりしたのは他人への牽制と、ちょっとした独占欲からだったのだが、無駄でもなかったらしい。
「鈍いと思ったことはありませんよ」
云うと、イルカは疑わしげに眉を顰めた。
「鈍感だって、よく云われるんですが」
「イルカ先生は意地っ張りで、生真面目なだけでしょ」
「意地っ張りで生真面目、ですか」
「うん。そういうトコも好き」
イルカは忍らしくない。しかし、忍がかくありたいと望む、潔い魂を持っている。それは得難い宝のように輝かしく、いまだ暗部の陰りを残すカカシを惹きつけ、深い執着を抱かせる。
だが、誰をも拒まず手を差し伸べるイルカを、独り占めにしたいと考える己の貪欲さが後ろめたくもあり、カカシは柄にもなく臆病になっていた。
イルカに対する気持ちを大胆な言動で冗談めかし、本音を秘めていたのも、希望を持ったまま現状維持をと、多分に日和った心情ゆえだが、白状してしまったからには仕方がない。
半ば自棄のようになりながら、カカシは後戻りできない問いを口にした。
「イルカ先生は、オレを好きになってくれる?」
「俺は……でも」
俯いて口の中でもごもごと呟いている、イルカの髪に、肩に、可憐な花びらが積もる。
カカシはゆっくりと歩み寄り、イルカの傍らに立った。
そうして、逸る気持ちをこらえながら沈黙を守っていたが、イルカは地面を睨んだまま、一向に言葉を継ぐ様子がなかった。
つかの間の沈黙は重く、その息苦しさは胸にひそむ疑念にも似て、カカシの心を惑わせる。
―――苦しめているのかも知れない。
ひとかけらの躊躇もなく、傷つけることより傷つくことを選ぶ人だから。
そういう自虐めいた感傷的な選択は、カカシの納得するところではなかったけれど、自分の所為で思い人が苦しむのは我慢ならない気がした。
「迷惑ですか。答えたくないなら、聞かなかったことにしてもいいよ」
渋々と心にもないことを口にした途端、イルカが弾かれたように顔を上げる。
「違います! 俺はただ、貴方が……」
イルカの喉が大きく上下した。
「どうしたいのか、分からなくて。俺は男と付き合った経験がないし、どういうふうに、その……お相手すればいいのか、見当もつきません」
「あー……」
あまりにも予想を上回る喜ばしい返答が、カカシに配慮を忘れさせ、むきだしの本音を引き出した。
「そこまでは考えてなかったけど、いいの?」
「えっ!?」
一気に顔へ血の気を昇らせたイルカは、大袈裟な身振で躰を引いた。
「あ……好意じゃないって云うから! そんな風に云われたら普通……ああもう、いいです。今の、取り消します」
慌てふためいて今にも逃げ出しそうなイルカを、素早く胸に抱き込んだ。
「駄目」
「離して下さいッ」
「ごめんね、オレはこうしたかったみたい」
「そんな」
イルカを捕らえた両腕に力を込めて、朱に染まった耳元へ囁く。
「抱きたいよ。キスしたい、たくさん。それから、毎朝、目を開けて最初にアナタを見たい」
沸き上がる思いのまま言葉を紡げば、次第に腕の中の抵抗が失せて、かわりに向かい合った胸の速い鼓動と、高い体温が伝わってくる。
長く忘れていたような気がする、生身の温度。
ほのかに石鹸の香の残る、肌の匂い。
懐かしくて嬉しくて、無理を承知で云ってみたくなる。
「オレと一緒に生きて。できるだけ死なないようにするから」
遠い空の目に染むような青さと、舞い散る桜が切ないほど綺麗で、白日夢の中にいるかと思えた。
これが夢なら、我が儘な思いを口にしても許されるだろう。優しい夢はいつも、願う真実を映すものだ。
「だからね、イルカ先生。この先ずっと側にいて下さいよ」
はい、と小さいけれど、きっぱりとした声が答えた。
願わくば、この誓いが現の命を繋ぐ枷となれ。
狂い咲く桜が、朽ちかけた過去までが美しいのは、このささやかな命が故に。
〈終〉
2002/06/28〜2002/07/18
2003/11/13改稿・改題
同人誌再録【初出:2002/07/18】
唐突にイルカが言った。
「昔、この樹に登って火影様に叱られたんです。桜はよわい樹だから瑕をつけるな、って………花も樹も儚いから、こんなに綺麗なのかも知れませんね」
憂いに沈んだイルカの眼差しは、カカシをいたたまれない気持ちにさせた。
イルカは、自分の大切なものを知っている。大切なものどもを守る為には、たとえ生命を賭しても譲らない。そんな彼の強さと脆さを、カカシは愛しく思う。
愛しく、恐ろしい。
里の為に身を捧げる。それは木ノ葉の忍すべてが覚悟するところであるが、イルカの献身は、むしろ無意識の情動に近い。
その身と引き換えに火影を救えたというのなら、イルカは迷わず差し出すだろう。
そんなふうに覚悟もなく易々と死なれては、残された者がたまらない。
イルカは決して知りも望みもしないだろうが、彼の内にひそむ危うさを恐れ、放ってはおけないと感じているのは、カカシだけではない。
定められた義務からではなく、他の犠牲たろうとする者こそ、非情の忍をして守りたいと思わせる存在なのだから。
「……でも、この桜は強いよ」
これ以上、思い詰めるイルカを見るのはやり切れなくて、カカシは稲荷桜に歩み寄った。
訝しげに見守るイルカの前で、幹の中ほどにある節くれ立った部分を拳で叩く。
「カカシ先生!」
咎める声音に構わず、カカシは再び同じ場所を小突いた。
「ここ。知ってるでしょ、十三年前にアイツの爪が抉った跡だよ。それでも枯れなかったし、こんなふざけた時期にまで花を咲かせてるんだから」
イルカは何も言わなかった。
カカシをじっと見つめたまま、泣き笑いのような表情をして頷いただけだった。
今ならば、カカシにも分かる。
失うことを考えるだけで痛みを覚えるほど、愛しいものもあるのだと。
木枯らしがみっしりと花をつけた枝々を吹き抜け、いたいけな花弁を散らす。
満開の桜が散る。
無数の花びらが二人を巻き込みながら、風に舞う。
不意に、イルカの姿が遠ざかるように見え、花吹雪に攫われてしまうのではないかと思えた。
「ねぇ、イルカ先生」
「なんですか?」
呼びかけに振り向いた顔の、いくぶん落ち着いた表情までが儚く感じられ、どうしようもない胸騒ぎに切羽詰まって、カカシは禁を破った。
「あなたが好きです。好意とか友情じゃなくね」
口からこぼれた声は、自分でも驚くほどに真摯な響きを帯びていた。
一瞬、イルカの瞳が戸惑いに揺らぎ、次には、口元へ困ったような微笑が浮かんだ。
「はい」
それが承諾なのか相槌なのか、短すぎる返事からは汲み取りようもなく、問い返すつもりで片眉を上げたカカシへ、イルカがはっきりと頷いた。
「そうじゃないかと思ってました」
意外にも平静な素振りで答えられた。
「やっぱり、あからさま過ぎでしたかね」
用もないのに受付へ顔を出し、事あるごとに絡んで、親しくなった後にはアカデミーへ、イルカの自宅へと頻繁に通った。「鈍いオレに分かるように、わざとそうされたんでしょう」
必要以上に馴れ馴れしく語りかけ、イルカの肩を抱いたりしたのは他人への牽制と、ちょっとした独占欲からだったのだが、無駄でもなかったらしい。
「鈍いと思ったことはありませんよ」
云うと、イルカは疑わしげに眉を顰めた。
「鈍感だって、よく云われるんですが」
「イルカ先生は意地っ張りで、生真面目なだけでしょ」
「意地っ張りで生真面目、ですか」
「うん。そういうトコも好き」
イルカは忍らしくない。しかし、忍がかくありたいと望む、潔い魂を持っている。それは得難い宝のように輝かしく、いまだ暗部の陰りを残すカカシを惹きつけ、深い執着を抱かせる。
だが、誰をも拒まず手を差し伸べるイルカを、独り占めにしたいと考える己の貪欲さが後ろめたくもあり、カカシは柄にもなく臆病になっていた。
イルカに対する気持ちを大胆な言動で冗談めかし、本音を秘めていたのも、希望を持ったまま現状維持をと、多分に日和った心情ゆえだが、白状してしまったからには仕方がない。
半ば自棄のようになりながら、カカシは後戻りできない問いを口にした。
「イルカ先生は、オレを好きになってくれる?」
「俺は……でも」
俯いて口の中でもごもごと呟いている、イルカの髪に、肩に、可憐な花びらが積もる。
カカシはゆっくりと歩み寄り、イルカの傍らに立った。
そうして、逸る気持ちをこらえながら沈黙を守っていたが、イルカは地面を睨んだまま、一向に言葉を継ぐ様子がなかった。
つかの間の沈黙は重く、その息苦しさは胸にひそむ疑念にも似て、カカシの心を惑わせる。
―――苦しめているのかも知れない。
ひとかけらの躊躇もなく、傷つけることより傷つくことを選ぶ人だから。
そういう自虐めいた感傷的な選択は、カカシの納得するところではなかったけれど、自分の所為で思い人が苦しむのは我慢ならない気がした。
「迷惑ですか。答えたくないなら、聞かなかったことにしてもいいよ」
渋々と心にもないことを口にした途端、イルカが弾かれたように顔を上げる。
「違います! 俺はただ、貴方が……」
イルカの喉が大きく上下した。
「どうしたいのか、分からなくて。俺は男と付き合った経験がないし、どういうふうに、その……お相手すればいいのか、見当もつきません」
「あー……」
あまりにも予想を上回る喜ばしい返答が、カカシに配慮を忘れさせ、むきだしの本音を引き出した。
「そこまでは考えてなかったけど、いいの?」
「えっ!?」
一気に顔へ血の気を昇らせたイルカは、大袈裟な身振で躰を引いた。
「あ……好意じゃないって云うから! そんな風に云われたら普通……ああもう、いいです。今の、取り消します」
慌てふためいて今にも逃げ出しそうなイルカを、素早く胸に抱き込んだ。
「駄目」
「離して下さいッ」
「ごめんね、オレはこうしたかったみたい」
「そんな」
イルカを捕らえた両腕に力を込めて、朱に染まった耳元へ囁く。
「抱きたいよ。キスしたい、たくさん。それから、毎朝、目を開けて最初にアナタを見たい」
沸き上がる思いのまま言葉を紡げば、次第に腕の中の抵抗が失せて、かわりに向かい合った胸の速い鼓動と、高い体温が伝わってくる。
長く忘れていたような気がする、生身の温度。
ほのかに石鹸の香の残る、肌の匂い。
懐かしくて嬉しくて、無理を承知で云ってみたくなる。
「オレと一緒に生きて。できるだけ死なないようにするから」
遠い空の目に染むような青さと、舞い散る桜が切ないほど綺麗で、白日夢の中にいるかと思えた。
これが夢なら、我が儘な思いを口にしても許されるだろう。優しい夢はいつも、願う真実を映すものだ。
「だからね、イルカ先生。この先ずっと側にいて下さいよ」
はい、と小さいけれど、きっぱりとした声が答えた。
願わくば、この誓いが現の命を繋ぐ枷となれ。
狂い咲く桜が、朽ちかけた過去までが美しいのは、このささやかな命が故に。
〈終〉
2002/06/28〜2002/07/18
2003/11/13改稿・改題
同人誌再録【初出:2002/07/18】
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