+ + + + + + + + + +
カカシには分からなかった。
抱かれるのが嫌だったのかと問えば、イルカは頸を横に振った。
しかし、違う、と繰り返すばかりで要領を得ない。
確かに、イルカの気持ちを汲まず自身の欲を押し付けてしまったが、その行為から糾弾されるのは、手段と時期尚早というところであろうし、惚れた弱みで相手の言いなりになっていたのは、自分だとしか思えなかった。
責められるのは仕方がないとしても、責めるイルカの言葉が分からない。
そんな筈はない、とカカシは考える。どこかで間違っているのだ。
「ね、イルカ先生」
今はシーツを掴んでいるイルカの両手をとって、そっと握る。相変わらず俯いたままの貌は見えないが、掌の温度だけでも伝わればいいと思う。
「俺は理屈でしか人の心が分からない奴だって、云われるんですよ……それで、あなたにも辛い思いをさせたでしょうが、俺には分からないんです。だから、教えて下さい」
カカシなりに、精一杯の真摯さと誠意をかき集めた懇願であった。
こくり、とイルカの喉が鳴る。
「……カ、カシ先生は、俺が……物珍しいだけなんでしょう?」
やっと名を呼んでもらえた安堵と、イルカの不穏な言い草に、カカシは目眩を覚えた。
想像を越えた誤解があるような気がする。
「何でそんなことを。俺はあなたが好きだって、いつも」
不意に面を上げたイルカは、可哀想なほど不安げな眼をしながら、
「いつも、何かしようとする時だけじゃないですか」
カカシの返す言葉を奪ってしまった。
「その上、こんな……結局、俺の……」
ふと視線を逸らせたイルカを、思いきり抱き締める。
「それ以上、云わないで。ごめんなさい。イルカ先生が好きです」
こんなやり方は狡い、とイルカが云った。
カカシも同感であったが、言葉で繕うのは不実と思えたし、他に本意を伝える方法が思い浮かばない。
何より、頼りない面持ちでいるイルカを、手放したくなかった。
すっかり冷えてしまったイルカの躰に身を寄せ、同じ毛布に包まって、カカシが謝罪と告白を繰り返すうちに、イルカは落ち着いたらしい。
もういいです、と照れ臭そうな苦笑を浮かべ、毛布の中でカカシの指先を握った。
カカシには、それがとても可愛いように感じられたのだが、流石にさっきの今で何かするのは憚られ、キスの代わりに少しだけ頬を寄せる。
やはり、イルカに対する欲はつよく在ったけれど。
こんなふうに側にいて、体温を感じていられるだけでも嬉しく、満たされるのを実感していた。
―――ま、いいか。
いや、それで片付けておけないことがあったと思い直して、カカシは真顔でイルカに向き直る。
「先生、ひとつだけ訊いておきたいんですが、どうして『物珍しい』なんですか?」
不意打ちにイルカは目を丸くし、次には不自然に視線を泳がせた。
「カカシ先生は色々と、その、おつきあいがあっただろうから」
「ありませんよ、そんなの」
憮然として答えるカカシへ、イルカはあからさまに疑わしそうな貌を向けた。
「本当ですって。それじゃ何、俺が男のあなたと付き合ってるのが珍しいと……そんなに女にだらしないように見えますかね」
「いや、そういう訳じゃ……ただ、俺が……男は初めてだから、それで」
イルカはもごもごと語尾を濁して、口をへの字に曲げている。
初耳だった。
それが真実ならば、イルカが行為に逃げ腰なのも道理であるし、嬉しいとも思えるのだが、カカシには素直に呑み込めない話だった。
「でも、痛いからって、さも経験有り気に」
それは、と云いかけてイルカは、深く溜め息をついた。
「……木ノ葉病院に、えらく大柄な医者がいるでしょうが」
何の話だ。
「あの、もうちょっと詳しく、お願いします」
昔の男の話なら聞きたくはないと思いつつ、カカシが説明を求めると、イルカは渋々といった様子で語り出した。
「俺が、胃をやってるのは知ってるでしょう」
勿論、とカカシは頷く。杜撰な態度のわりに心配性のイルカが慢性的に胃を患っていることは、つきあい始める前から察していた。
「最近また。それで病院に行ったら、念の為に他のところも検査しようと」
「検査って」
一瞬、カカシの脳裏に閃いた情景は、昔観た白衣物ビデオの山場であったが。
「ええ、消化器系を一通り」
怪訝そうなイルカの表情に、はしたない妄想を引っ込め神妙な表情をつくる。
「どこか悪かったんですか?」
「いいえ、胃だけでした。でも……診てもらった医者というのが、身の丈七尺、幅は俺の倍はあろうかという大男で」
イルカの声に力がこもる。
何だかよく分からないが、その人間離れした医者が重要であるらしいと見当をつけ、カカシは視線で先を促した。
「腕なんか丸太みたいで、指一本がこんな」
差し出されたイルカの掌の、人差し指と中指だけが揃えられ、上を向く。
「こんな?」
思わず真似たカカシの手つきに何を思ったか、イルカは素早く自分の手を引っ込め、頬を赤らめた。
―――いや、それは関係ないだろうけどさ。指って……。
唐突に合点がいって、カカシはようやく、もどかしい長広舌の意味を悟った。
「直腸検診」
気まずそうに頷くイルカを、カカシは複雑な気分で眺めていた。
喜んでいいのか同情すべきなのか、もしかしたら怒るところなのかも知れないが、どれもしっくりと収まらない。
―――やっぱり、ま、いいか。
照れているイルカが可愛い。
「ねぇ、そんなに痛かったんですか?」
にやにやしながら訊くと、脳天に拳骨が落ちてきた。
大袈裟に痛がって見せるカカシの、額を掠めるように唇が触れる。
逃げようとするのを捕らえて、もっと、とねだると、イルカは難しい貌で考え込んでしまった。
訊けば、どっちにしようか悩んでいると云う。
それじゃあ、とイルカの両手を握るカカシの、今度は、唇に。
揺さぶるたび乱れる黒髪を、指で梳く。
寄せられた眉が痛々しく、不安をひそめて名を呼べば、優しい眼差しがカカシを映し、微かに笑む。
それが嬉しくて、愛しくてたまらなくて、他には何もいらないと思った。
カカシは腕の中の温もりをそっと抱き寄せる。
―――どうか、幸せでいて下さい。
イルカの安らげる場所になりたいと思った。
大好きなひとがいつも笑顔でいられるような、そこに居るだけで癒され、穏やかに眠れるような、綺麗で優しいところ。
―――自由に。あなたの望むままに。
蹴散らされたって構わない。
イルカを愛しいと思うたびに花の咲く。
それは一面のお花畑。
〈終〉
【2002/10/08〜2002/10/13「KaD」:同人誌「お花畑の暴君」】
【2002/12/08改稿】
抱かれるのが嫌だったのかと問えば、イルカは頸を横に振った。
しかし、違う、と繰り返すばかりで要領を得ない。
確かに、イルカの気持ちを汲まず自身の欲を押し付けてしまったが、その行為から糾弾されるのは、手段と時期尚早というところであろうし、惚れた弱みで相手の言いなりになっていたのは、自分だとしか思えなかった。
責められるのは仕方がないとしても、責めるイルカの言葉が分からない。
そんな筈はない、とカカシは考える。どこかで間違っているのだ。
「ね、イルカ先生」
今はシーツを掴んでいるイルカの両手をとって、そっと握る。相変わらず俯いたままの貌は見えないが、掌の温度だけでも伝わればいいと思う。
「俺は理屈でしか人の心が分からない奴だって、云われるんですよ……それで、あなたにも辛い思いをさせたでしょうが、俺には分からないんです。だから、教えて下さい」
カカシなりに、精一杯の真摯さと誠意をかき集めた懇願であった。
こくり、とイルカの喉が鳴る。
「……カ、カシ先生は、俺が……物珍しいだけなんでしょう?」
やっと名を呼んでもらえた安堵と、イルカの不穏な言い草に、カカシは目眩を覚えた。
想像を越えた誤解があるような気がする。
「何でそんなことを。俺はあなたが好きだって、いつも」
不意に面を上げたイルカは、可哀想なほど不安げな眼をしながら、
「いつも、何かしようとする時だけじゃないですか」
カカシの返す言葉を奪ってしまった。
「その上、こんな……結局、俺の……」
ふと視線を逸らせたイルカを、思いきり抱き締める。
「それ以上、云わないで。ごめんなさい。イルカ先生が好きです」
こんなやり方は狡い、とイルカが云った。
カカシも同感であったが、言葉で繕うのは不実と思えたし、他に本意を伝える方法が思い浮かばない。
何より、頼りない面持ちでいるイルカを、手放したくなかった。
すっかり冷えてしまったイルカの躰に身を寄せ、同じ毛布に包まって、カカシが謝罪と告白を繰り返すうちに、イルカは落ち着いたらしい。
もういいです、と照れ臭そうな苦笑を浮かべ、毛布の中でカカシの指先を握った。
カカシには、それがとても可愛いように感じられたのだが、流石にさっきの今で何かするのは憚られ、キスの代わりに少しだけ頬を寄せる。
やはり、イルカに対する欲はつよく在ったけれど。
こんなふうに側にいて、体温を感じていられるだけでも嬉しく、満たされるのを実感していた。
―――ま、いいか。
いや、それで片付けておけないことがあったと思い直して、カカシは真顔でイルカに向き直る。
「先生、ひとつだけ訊いておきたいんですが、どうして『物珍しい』なんですか?」
不意打ちにイルカは目を丸くし、次には不自然に視線を泳がせた。
「カカシ先生は色々と、その、おつきあいがあっただろうから」
「ありませんよ、そんなの」
憮然として答えるカカシへ、イルカはあからさまに疑わしそうな貌を向けた。
「本当ですって。それじゃ何、俺が男のあなたと付き合ってるのが珍しいと……そんなに女にだらしないように見えますかね」
「いや、そういう訳じゃ……ただ、俺が……男は初めてだから、それで」
イルカはもごもごと語尾を濁して、口をへの字に曲げている。
初耳だった。
それが真実ならば、イルカが行為に逃げ腰なのも道理であるし、嬉しいとも思えるのだが、カカシには素直に呑み込めない話だった。
「でも、痛いからって、さも経験有り気に」
それは、と云いかけてイルカは、深く溜め息をついた。
「……木ノ葉病院に、えらく大柄な医者がいるでしょうが」
何の話だ。
「あの、もうちょっと詳しく、お願いします」
昔の男の話なら聞きたくはないと思いつつ、カカシが説明を求めると、イルカは渋々といった様子で語り出した。
「俺が、胃をやってるのは知ってるでしょう」
勿論、とカカシは頷く。杜撰な態度のわりに心配性のイルカが慢性的に胃を患っていることは、つきあい始める前から察していた。
「最近また。それで病院に行ったら、念の為に他のところも検査しようと」
「検査って」
一瞬、カカシの脳裏に閃いた情景は、昔観た白衣物ビデオの山場であったが。
「ええ、消化器系を一通り」
怪訝そうなイルカの表情に、はしたない妄想を引っ込め神妙な表情をつくる。
「どこか悪かったんですか?」
「いいえ、胃だけでした。でも……診てもらった医者というのが、身の丈七尺、幅は俺の倍はあろうかという大男で」
イルカの声に力がこもる。
何だかよく分からないが、その人間離れした医者が重要であるらしいと見当をつけ、カカシは視線で先を促した。
「腕なんか丸太みたいで、指一本がこんな」
差し出されたイルカの掌の、人差し指と中指だけが揃えられ、上を向く。
「こんな?」
思わず真似たカカシの手つきに何を思ったか、イルカは素早く自分の手を引っ込め、頬を赤らめた。
―――いや、それは関係ないだろうけどさ。指って……。
唐突に合点がいって、カカシはようやく、もどかしい長広舌の意味を悟った。
「直腸検診」
気まずそうに頷くイルカを、カカシは複雑な気分で眺めていた。
喜んでいいのか同情すべきなのか、もしかしたら怒るところなのかも知れないが、どれもしっくりと収まらない。
―――やっぱり、ま、いいか。
照れているイルカが可愛い。
「ねぇ、そんなに痛かったんですか?」
にやにやしながら訊くと、脳天に拳骨が落ちてきた。
大袈裟に痛がって見せるカカシの、額を掠めるように唇が触れる。
逃げようとするのを捕らえて、もっと、とねだると、イルカは難しい貌で考え込んでしまった。
訊けば、どっちにしようか悩んでいると云う。
それじゃあ、とイルカの両手を握るカカシの、今度は、唇に。
揺さぶるたび乱れる黒髪を、指で梳く。
寄せられた眉が痛々しく、不安をひそめて名を呼べば、優しい眼差しがカカシを映し、微かに笑む。
それが嬉しくて、愛しくてたまらなくて、他には何もいらないと思った。
カカシは腕の中の温もりをそっと抱き寄せる。
―――どうか、幸せでいて下さい。
イルカの安らげる場所になりたいと思った。
大好きなひとがいつも笑顔でいられるような、そこに居るだけで癒され、穏やかに眠れるような、綺麗で優しいところ。
―――自由に。あなたの望むままに。
蹴散らされたって構わない。
イルカを愛しいと思うたびに花の咲く。
それは一面のお花畑。
〈終〉
【2002/10/08〜2002/10/13「KaD」:同人誌「お花畑の暴君」】
【2002/12/08改稿】
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