+ + + + + + + + + +
運悪く多勢に追われた任務の帰路。
他の暗部を散らせた後、追い込まれて敵地に飛び込んだとき既に、カカシは持てる力のほとんどを使い果たしていた。
負傷してやむなく、山の斜面に浅く切り込む崖の下、密生していた笹群に身を隠すと、すぐ側に古い巣穴でも崩れたものか、カカシが這いこめるほどの窪みがあった。
それから三日ばかり息をひそめている。
本来なら、チャクラの回復を待って独力で脱出するところだが、思いのほか深く抉られた右腕は印を結べず、抜いた毒の残滓が自己治癒能力を越え、じわじわと体力を蝕んでゆく。
遠く近く移動する淡い気配に神経を尖らせながら、カカシは土の中で膝を抱えていた。
まったく馬鹿なことをしたものだ。
眠気覚ましにと三日前を手始めに溯り、身に覚えのある失敗を数え上げるうちに、カカシは胸に深く刻まれた面影をなぞっていた。
初めて出会ったときから現在まで、彼の表情のひとつひとつが克明に思い出される。
つよい意志を隠して、カカシを映す静謐な眼差し。
何かを呑み込んだまま、引き結ばれた口元。それが優しく綻ぶさまは、しばらく見ない。
脳裏に浮かぶ相貌が、カカシへ語りかけることはない。
偶然。
足元に落ちていたものを拾い上げ、それが後に繋がるとは思いもよらず、自分が望む形に歪めたのは過ちだったが、そうと知ったところで、組み違えたまま築かれた関係をどうしようもない。
彼を死神の手から横取りした代償に、彼への思いを奪われた己が彼の人生を奪い、再び彼を失った。
ろくでもない因果応報というやつだ。
歯止めなく溢れそうなカカシの後悔は、唐突に中断された。
気配を忍ばせた人影が、すぐ側をうろついている。
カカシが、せめて一撃をと構えていたところへ、前触れもなくするりと身を寄せてきた手練に愕然とした。
木ノ葉の額当て。その下の見慣れた貌に。
―――最悪。
「怪我は?」
無論、挨拶などある訳もなく、イルカは目敏くカカシの上腕を掴むなり、くるくると包帯を巻いた。この場では他に術もあるまいが、それにしても無造作な仕方だった。
「こんな簡単に見つかっちゃうとはね」
呟けば、イルカは上目使いの一瞥をくれた。
「ここなら、土遁で崩しやすいと思ったので。そのつもりだったんでしょう」
目論みを見透かすような言葉を冷静に返されて、カカシは話を逸らせた。
「ま、そうかもね……で、あなたの他には」
「小隊ひとつと、ふたり」
物陰にひそむ耳目を用心してか、イルカが所属をぼかした二名は暗部であろう。これほど他里の忍がうろうろしている場所で下忍なぞ足手まといだから、小隊は中忍編成。
「気前がいいことで」
カカシの皮肉を咎めるように、イルカは眉を寄せた。
―――だって、仕方ないでしょ。
周辺の敵は〈写輪眼〉を見逃さないだろう。たとえ、カカシの正体が割れていなかったとしても、木ノ葉が即座に救援を出したと知れば、その対象の持つ情報に敵は価値を見いだす。
手数があるなら狩りに来る。必ず。
だが、緊張状態にある国境地帯にいるのは不幸中の幸いというべきか、二手の敵が一斉に襲ってくることはあるまい。
小国にとって木ノ葉の上忍クラスは美味しい獲物だが、両国の忍が睨み合う国境線を侵し、敵国に有利な口実を与えてまで狩る重要性はない。
襲って来るなら片方の陣営のみ、越境者のスパイ容疑が言い訳になる程度の少数で。もう一方は様子見に入るのが定石だ。斗って疲弊した戦力に挑む方が効率がいいのだから。
カカシ達が脱出の機を得るには、その間隙を狙うしかない。 手薄な先発隊を叩き伏せ、追撃の前に暗部と合流、あとは運まかせだ。
―――足手まといがいなけりゃ、ね。
それはカカシの身についた、部隊の生存率を上げる計算にすぎない。感傷が入り込む余地はなかったはずだが、押し殺した気配にイルカは何事か察したようだ。
「駄目です。余計なことを考えないでください……歯を叩き折りますよ」
イルカは凄むでなく、むしろ静かに云った。
「脅さないでくださいよ」
カカシが冗談めかして返せば、イルカは頬を引きつらせ、アカデミーの生徒にでも云い含めるような口調に変わる。
「本気です。勝手なことをする気なら、猿轡をかまして手足の腱を切る」
意外な。
きっと睨む表情は見慣れたものだが、まとう雰囲気が尋常のイルカとは違う。忍の貌をしていた。
「オレにそんな酷いことを」
「したくないんで、おとなしくしててください。必ず連れ帰ります」
どこかで聞いたような台詞だ。
暗闇がひたひたと忍び寄る、いつかの黄昏れ時に。
仲間の屍からも離れたったひとりで死にかけていた中忍が、今度は逆の立場で、カカシに救いの手を差し伸べる。
共倒れの危険を冒してまでやることじゃない、と、上忍の分別はイルカを諌めようとするが、それはカカシが云えた義理でもなかった。
カカシは引き起こされる躰の痛みに呻き、イルカの背に負われながら悪態をつく。
「イルカの恩返し? オレの躰が欲しいわけじゃないでしょ」
怒って放り出されても、イルカを恨みはしない。
「俺には上忍と取引できる術なんてありません。だから、里に着くまで心臓は止めないぐらいの根性見せてください」
「根性、ねぇ。あんま無くても上忍やってこれたんで、持ち合わせがないんだけど」
「ああ、その舌は止めていいです」
負けず云い返してくるイルカは平静だ。
枝を飛び移る足元と同様の確かさで、イルカの決意は翻りそうになく、カカシも殉職なぞ望んではいないが、しかし、今も失いたくなかった。
彼を。
イルカが諦めてくれればいいのに。
カカシには、この温かい背中を突き放すことができない。
「もう使い物にならないかもね」
そんな気はしなかったが、イルカの肩越しに投げ出した右腕を揺らして、云ってみた。
「それでも。―――俺は、酷い奴なんですよ」
イルカの口から、ぽつりと呟きが落ちる。
「アンタが生きてさえいりゃいい」
本当に酷い。
生きてさえいれば。
呼吸をしているだけの役立たずでも、誰かを傷つけて勝手に盛り上がってる阿呆でもいいと、今ここで、そんな恐ろしいことを云うなんて。
感覚の鈍った右手が、無意識のうちにイルカの胸元を掴んでいた。萎えた五指は堅い布地を握り込めず、頼りなくが引っ掛かっているようなものだったが。
無様にもがく自分の指先を、信じられない思いで見下ろしながら、カカシは低く唸った。
「……そういうことは、ねえ、イルカ先生」
一瞬、まったくの空白になった頭の中から叩き出されたものか、恨みがましい本音が転がり出る。
「もっと早く云ってくれないと」
あやうく、可哀想な自分に酔ったまま諦めるところだった。
「黙ってろ」
突っ慳貪に吐かれた一言は、怒っているのかどうか。
カカシは言われるまま口を閉じ、近すぎてぼんやりと滲むイルカの輪郭を視線で辿る。
何となく、イルカが照れているような気配も感じたが、激しいひとり相撲の後では自信が持てない。
物事を悲観的に読んで複雑な図を描いてしまうのは、カカシの悪い癖だ。半ば職業病みたいなもので、こればかりは治しようがないけれど、そんなのはイルカが好まないだろう。
好むとか好まないとか、真に理解の必要なところを足蹴にしておいて、今更ではあるが。
無為の空転を続けていたカカシの思考はめまぐるしく働き、現状打破のための図面を引き始めていた。
生きてさえいればいいと、云った。
―――どんなオレでも好きって意味だよね。
問いただすのも青臭く、間が抜けている。
ふ、と溜め息を漏らせば、イルカの落ち着いた声音が囁く。
「来ます。仲間が二人、と、敵が三人?」
正解だが、厄介なことに一人は上忍だ。
カカシは左手の感触を確かめ、素早くイルカの背から飛び降りた。
「ちょっ、アンタ何を」
「大丈夫、勿体ないから死なないよ。五分ぐらいは」
少し見栄を張って、笑ってみせた。
新たにチャクラを練る余力はないが、並の上忍ごときから身を守るぐらいは、片腕でもこなせる。伊達に暗部にいた訳ではないのだ。五分後、無理に絞り出した電池が切れても、里まで誰かの背にしがみついていることは可能だろう。
そんな、色々と甘い計算。
駆けながら、イルカの腰から掠め取った予備のクナイを逆手に握ると、イルカは思い切り貌を顰めた。
「何考えてんですか、アンタは!」
「んー……怪我しないでね?」
答えざま、カカシは飛んできた手裏剣を叩き落とした。
信じられない、と舌打ちの音。
それは後日もう一度、イルカの部屋で聞く予定だ。
《終》
(2004/03/07〜2005/8/4)
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他の暗部を散らせた後、追い込まれて敵地に飛び込んだとき既に、カカシは持てる力のほとんどを使い果たしていた。
負傷してやむなく、山の斜面に浅く切り込む崖の下、密生していた笹群に身を隠すと、すぐ側に古い巣穴でも崩れたものか、カカシが這いこめるほどの窪みがあった。
それから三日ばかり息をひそめている。
本来なら、チャクラの回復を待って独力で脱出するところだが、思いのほか深く抉られた右腕は印を結べず、抜いた毒の残滓が自己治癒能力を越え、じわじわと体力を蝕んでゆく。
遠く近く移動する淡い気配に神経を尖らせながら、カカシは土の中で膝を抱えていた。
まったく馬鹿なことをしたものだ。
眠気覚ましにと三日前を手始めに溯り、身に覚えのある失敗を数え上げるうちに、カカシは胸に深く刻まれた面影をなぞっていた。
初めて出会ったときから現在まで、彼の表情のひとつひとつが克明に思い出される。
つよい意志を隠して、カカシを映す静謐な眼差し。
何かを呑み込んだまま、引き結ばれた口元。それが優しく綻ぶさまは、しばらく見ない。
脳裏に浮かぶ相貌が、カカシへ語りかけることはない。
偶然。
足元に落ちていたものを拾い上げ、それが後に繋がるとは思いもよらず、自分が望む形に歪めたのは過ちだったが、そうと知ったところで、組み違えたまま築かれた関係をどうしようもない。
彼を死神の手から横取りした代償に、彼への思いを奪われた己が彼の人生を奪い、再び彼を失った。
ろくでもない因果応報というやつだ。
歯止めなく溢れそうなカカシの後悔は、唐突に中断された。
気配を忍ばせた人影が、すぐ側をうろついている。
カカシが、せめて一撃をと構えていたところへ、前触れもなくするりと身を寄せてきた手練に愕然とした。
木ノ葉の額当て。その下の見慣れた貌に。
―――最悪。
「怪我は?」
無論、挨拶などある訳もなく、イルカは目敏くカカシの上腕を掴むなり、くるくると包帯を巻いた。この場では他に術もあるまいが、それにしても無造作な仕方だった。
「こんな簡単に見つかっちゃうとはね」
呟けば、イルカは上目使いの一瞥をくれた。
「ここなら、土遁で崩しやすいと思ったので。そのつもりだったんでしょう」
目論みを見透かすような言葉を冷静に返されて、カカシは話を逸らせた。
「ま、そうかもね……で、あなたの他には」
「小隊ひとつと、ふたり」
物陰にひそむ耳目を用心してか、イルカが所属をぼかした二名は暗部であろう。これほど他里の忍がうろうろしている場所で下忍なぞ足手まといだから、小隊は中忍編成。
「気前がいいことで」
カカシの皮肉を咎めるように、イルカは眉を寄せた。
―――だって、仕方ないでしょ。
周辺の敵は〈写輪眼〉を見逃さないだろう。たとえ、カカシの正体が割れていなかったとしても、木ノ葉が即座に救援を出したと知れば、その対象の持つ情報に敵は価値を見いだす。
手数があるなら狩りに来る。必ず。
だが、緊張状態にある国境地帯にいるのは不幸中の幸いというべきか、二手の敵が一斉に襲ってくることはあるまい。
小国にとって木ノ葉の上忍クラスは美味しい獲物だが、両国の忍が睨み合う国境線を侵し、敵国に有利な口実を与えてまで狩る重要性はない。
襲って来るなら片方の陣営のみ、越境者のスパイ容疑が言い訳になる程度の少数で。もう一方は様子見に入るのが定石だ。斗って疲弊した戦力に挑む方が効率がいいのだから。
カカシ達が脱出の機を得るには、その間隙を狙うしかない。 手薄な先発隊を叩き伏せ、追撃の前に暗部と合流、あとは運まかせだ。
―――足手まといがいなけりゃ、ね。
それはカカシの身についた、部隊の生存率を上げる計算にすぎない。感傷が入り込む余地はなかったはずだが、押し殺した気配にイルカは何事か察したようだ。
「駄目です。余計なことを考えないでください……歯を叩き折りますよ」
イルカは凄むでなく、むしろ静かに云った。
「脅さないでくださいよ」
カカシが冗談めかして返せば、イルカは頬を引きつらせ、アカデミーの生徒にでも云い含めるような口調に変わる。
「本気です。勝手なことをする気なら、猿轡をかまして手足の腱を切る」
意外な。
きっと睨む表情は見慣れたものだが、まとう雰囲気が尋常のイルカとは違う。忍の貌をしていた。
「オレにそんな酷いことを」
「したくないんで、おとなしくしててください。必ず連れ帰ります」
どこかで聞いたような台詞だ。
暗闇がひたひたと忍び寄る、いつかの黄昏れ時に。
仲間の屍からも離れたったひとりで死にかけていた中忍が、今度は逆の立場で、カカシに救いの手を差し伸べる。
共倒れの危険を冒してまでやることじゃない、と、上忍の分別はイルカを諌めようとするが、それはカカシが云えた義理でもなかった。
カカシは引き起こされる躰の痛みに呻き、イルカの背に負われながら悪態をつく。
「イルカの恩返し? オレの躰が欲しいわけじゃないでしょ」
怒って放り出されても、イルカを恨みはしない。
「俺には上忍と取引できる術なんてありません。だから、里に着くまで心臓は止めないぐらいの根性見せてください」
「根性、ねぇ。あんま無くても上忍やってこれたんで、持ち合わせがないんだけど」
「ああ、その舌は止めていいです」
負けず云い返してくるイルカは平静だ。
枝を飛び移る足元と同様の確かさで、イルカの決意は翻りそうになく、カカシも殉職なぞ望んではいないが、しかし、今も失いたくなかった。
彼を。
イルカが諦めてくれればいいのに。
カカシには、この温かい背中を突き放すことができない。
「もう使い物にならないかもね」
そんな気はしなかったが、イルカの肩越しに投げ出した右腕を揺らして、云ってみた。
「それでも。―――俺は、酷い奴なんですよ」
イルカの口から、ぽつりと呟きが落ちる。
「アンタが生きてさえいりゃいい」
本当に酷い。
生きてさえいれば。
呼吸をしているだけの役立たずでも、誰かを傷つけて勝手に盛り上がってる阿呆でもいいと、今ここで、そんな恐ろしいことを云うなんて。
感覚の鈍った右手が、無意識のうちにイルカの胸元を掴んでいた。萎えた五指は堅い布地を握り込めず、頼りなくが引っ掛かっているようなものだったが。
無様にもがく自分の指先を、信じられない思いで見下ろしながら、カカシは低く唸った。
「……そういうことは、ねえ、イルカ先生」
一瞬、まったくの空白になった頭の中から叩き出されたものか、恨みがましい本音が転がり出る。
「もっと早く云ってくれないと」
あやうく、可哀想な自分に酔ったまま諦めるところだった。
「黙ってろ」
突っ慳貪に吐かれた一言は、怒っているのかどうか。
カカシは言われるまま口を閉じ、近すぎてぼんやりと滲むイルカの輪郭を視線で辿る。
何となく、イルカが照れているような気配も感じたが、激しいひとり相撲の後では自信が持てない。
物事を悲観的に読んで複雑な図を描いてしまうのは、カカシの悪い癖だ。半ば職業病みたいなもので、こればかりは治しようがないけれど、そんなのはイルカが好まないだろう。
好むとか好まないとか、真に理解の必要なところを足蹴にしておいて、今更ではあるが。
無為の空転を続けていたカカシの思考はめまぐるしく働き、現状打破のための図面を引き始めていた。
生きてさえいればいいと、云った。
―――どんなオレでも好きって意味だよね。
問いただすのも青臭く、間が抜けている。
ふ、と溜め息を漏らせば、イルカの落ち着いた声音が囁く。
「来ます。仲間が二人、と、敵が三人?」
正解だが、厄介なことに一人は上忍だ。
カカシは左手の感触を確かめ、素早くイルカの背から飛び降りた。
「ちょっ、アンタ何を」
「大丈夫、勿体ないから死なないよ。五分ぐらいは」
少し見栄を張って、笑ってみせた。
新たにチャクラを練る余力はないが、並の上忍ごときから身を守るぐらいは、片腕でもこなせる。伊達に暗部にいた訳ではないのだ。五分後、無理に絞り出した電池が切れても、里まで誰かの背にしがみついていることは可能だろう。
そんな、色々と甘い計算。
駆けながら、イルカの腰から掠め取った予備のクナイを逆手に握ると、イルカは思い切り貌を顰めた。
「何考えてんですか、アンタは!」
「んー……怪我しないでね?」
答えざま、カカシは飛んできた手裏剣を叩き落とした。
信じられない、と舌打ちの音。
それは後日もう一度、イルカの部屋で聞く予定だ。
《終》
(2004/03/07〜2005/8/4)
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