+ + + + + + + + + +
〜3〜
「とりあえず、ここに」
イルカは背負っていた男を、居間の床に降ろした。
まるで人形のように傾ぐ男の上半身を支え、壁に寄りかからせる。
明るい照明の下で見ると、白いプロテクターを抉る刀痕や、赤錆びた色の飛沫が生々しい。
同里の忍といえど滅多に目にする機会のない暗部が、生身を感じるほど間近にいる。ありふれた中忍宅の居間に座って。
非現実的な光景だ。
あまりにも不釣り合い過ぎて、妙なおかしみが湧いてくるのに困惑しつつ、イルカは無表情な戌面の傍らに控えている。
「すぐに戻りますので、それまで申し訳ありませんが」
「ここで寝てもいいの」
欠伸まじりの眠たげな返事に慌てた。
「いえ、床をつくりますから。それに、手当も」
イルカが早口に云い足せば、戌の面は視線を巡らせ、自分の姿を確かめたようだった。
「平気。あぁ、土足はマズイか」
ぽつりと云うのに頷いて、イルカは先刻から気掛かりであったことを訊ねてみる。
「それは構いませんが、傷の消毒だけでも。私が触っても構いませんか?」
思わぬ事故を避けるために、或いは、躰に染みこんだ自里の情報を護るために、己の肉体や装備に触れられることを嫌う忍も多い。任務内容は勿論、部隊編成までが秘される暗部なら、殊更に接触を厭うやもというイルカの考えは、鼻で笑われ片付けられた。
「今更でしょ」
確かに。
素っ気ない一言を許可と取って、イルカは男の脚に手をかけた。
下足とプロテクターは揃えて床の上に。
男の躰の線にぴったりと沿ったアンダーを脱がせ、あらわになった上半身の傷を、消毒薬を含ませた脱脂綿で拭う。
擦過傷と打撲、浅く斬られた傷がいくつか。あの乱戦の中心にいたとは思えない軽症に、イルカは溜め息をついた。
戌面が首を傾げるのへ、苦笑を返す。
「いえ、綺麗な躰だと思って」
男の躰は鍛え抜かれ、均整がとれていた。
無駄なく締まった筋肉も見事であったが、何より、深い傷痕が見当たらないことに感心している。
「オレ、そっちの趣味ないんだけど」
「違います。そんなんじゃなく」
イルカはむきになって否定しかけた口を閉じた。男の肩が小さく震えている。笑っているかのように。
「貌は潰れて、もうグチャグチャなんだけどねぇ」
まったく真実味のない口調に、揶揄われているのだと気がついた。逆毛を撫でる皮肉な物云いは男の癖なのだろうか、いちいち癪に障る。
「その面があれば構わないでしょう」
国主の御前においてさえ武装を許される、里の力を示す陰の象徴。火影だけに従属するそれは、主の権勢の写しでもある。
イルカが舌に乗せてしまった毒に、男は笑い止んだ。
「……気が強いね。年下のくせに生意気」
年齢など口にした記憶はない。反射的に見上げたものの、面越しに表情が窺える筈もなく。
男が顎の先を上げて示したのは、棚の上の一枚きりの家族の写真。イルカがアカデミーに入学した日付が入っている。
「ま、里じゃ必要もないんでしょ」
その細心さが。
イルカには、内勤の平和呆けを嘲る男よりも、その眼に木偶同然と映っているだろう己が腹立たしい。
公にできない汚れ仕事を専門にする暗部は、苛酷な任に耐えうる優秀な者達故に、誇り高く苛烈なのだと聞く。その眼から見れば、薄甘い同朋意識から不介入の禁を犯し、暗部の手を煩わせた中忍など、ぬるま湯に漬かった屑同然であろう。
だが、それならば何故、ここにいるのかと思う。
掟を破った過ちを責めるなら、非公式にも断罪する方法はある。いくつでも。
なのに暗部が、たかが各下の忍に厭味を云う為に、高いプライドを曲げてまで弱った姿を曝すなどと、そんな道理はないだろう。
わけがわからない。
男の言動はイルカの理解を越え、神経をささくれ立たせる。
黙り込んで治療を続けるイルカに、男もまた口を閉ざした。
最後の包帯を巻き終え、救急箱を片付けると、イルカは愛想よく微笑みを浮かべた。
「お寝みになりますか?」
訝しげに頷く男の腋に腕を回し、肩を貸すのではなく、膝を掬って抱き上げ寝室に運ぶ。抱えた躰を丁重にベッドに降ろすと、男は不快げに低く唸った。
それに構わず、イルカは母親が子にするさまをなぞって男に上掛けをかけてやり、すこしばかり溜飲を下げた後、自分の布団を居間の床へ敷きのべた。
「御用があれば呼んでください」
寝室の奥へ声をかけ、室内灯を消したイルカに、抑揚のない声が訊ねる。
「どうしてあんなコトをしたの」
あんなこと。己の力で生死の際を選ぶことができる人間には所詮、その程度のこと。
「……わかりません。頭に血がのぼっていたので」
「嘘吐き」
イルカは少し考え、ドアを閉めた。
外れてはいない。
翌朝、イルカは朝靄の消えぬうちに家を出た。
任務報告を済ませるだけの予定では無駄な早起きだったが、どうやらイルカを嫌いながら居候を決めたらしい、不可解な男と顔を突き合わせていたくなかったのだ。
眠っているのか起きているのか、声をかけても微動だにしない戌面の枕元に、飲み水と握り飯を置いてきた。男が自力で起き上がれないことは承知していたが、暗部面をつけたままでは給仕のしようもないし、それを望まれてもいないだろう。
―――どうしろってんだ。
男が何を望んでいるのか想像もつかず、はやばやと帰宅を思えば爽やかな朝の空気さえ重い。
とはいえ、男の言葉を受け入れた以上は、躰が回復するまで面倒を見るつもりでいる。最低限の。
得体の知れない暗部を相手に、通ろうが通るまいが、イルカの道理は変わりようもない。
大量の買い物と書類を抱えたイルカが、憤然として帰宅したのは昼近く。
サンダルを脱ぎ捨て向かった寝室で、男は朝と変わらぬ状態で眠り続けていた。
まるで死体のような。
よくよく注意しなければ、気配も寝息も察せられないほど静かな寝相は、暗部の殺伐とした日常を思わせて、いたたまれないような気がした。
気を削がれたイルカは居間にとって返し、持ち帰った荷物を片付け始めた。
「無茶苦茶だ」
そう口にしたのは、今日二度目。
一度目はイルカが報告書を提出するなり、新たに与えられた特殊任務の内容を知らされたときに。
『一カ月間の自宅待機。但し、暗部の指示あるときは従い、任務を遂行すること。』
そんな馬鹿な話があるかと。
直接ねじ込もうにも、三代目火影は外交の為に遠国へ旅立ったという。つまり、この任務は異例にも、火影の信任を得た暗部からの要請ということだ。
戌面の男の看護が。
男が暗部でどんな立場にいるのかは知らないが、それほどに重要な者ならば、厳重に警備を立てて入院させればいい。名にしおう木ノ葉の暗部が、何も男の気まぐれに沿うように愚かな要請なぞせずとも。
―――くだらない。
くだらなすぎて、暗部の仕業とは思えない。
ふと、頭の端に引っ掛かった考えを、イルカは押しやった。
それは中忍の分ではないと思い至って。
[続]
2002/09/17〜2004/08/06
「とりあえず、ここに」
イルカは背負っていた男を、居間の床に降ろした。
まるで人形のように傾ぐ男の上半身を支え、壁に寄りかからせる。
明るい照明の下で見ると、白いプロテクターを抉る刀痕や、赤錆びた色の飛沫が生々しい。
同里の忍といえど滅多に目にする機会のない暗部が、生身を感じるほど間近にいる。ありふれた中忍宅の居間に座って。
非現実的な光景だ。
あまりにも不釣り合い過ぎて、妙なおかしみが湧いてくるのに困惑しつつ、イルカは無表情な戌面の傍らに控えている。
「すぐに戻りますので、それまで申し訳ありませんが」
「ここで寝てもいいの」
欠伸まじりの眠たげな返事に慌てた。
「いえ、床をつくりますから。それに、手当も」
イルカが早口に云い足せば、戌の面は視線を巡らせ、自分の姿を確かめたようだった。
「平気。あぁ、土足はマズイか」
ぽつりと云うのに頷いて、イルカは先刻から気掛かりであったことを訊ねてみる。
「それは構いませんが、傷の消毒だけでも。私が触っても構いませんか?」
思わぬ事故を避けるために、或いは、躰に染みこんだ自里の情報を護るために、己の肉体や装備に触れられることを嫌う忍も多い。任務内容は勿論、部隊編成までが秘される暗部なら、殊更に接触を厭うやもというイルカの考えは、鼻で笑われ片付けられた。
「今更でしょ」
確かに。
素っ気ない一言を許可と取って、イルカは男の脚に手をかけた。
下足とプロテクターは揃えて床の上に。
男の躰の線にぴったりと沿ったアンダーを脱がせ、あらわになった上半身の傷を、消毒薬を含ませた脱脂綿で拭う。
擦過傷と打撲、浅く斬られた傷がいくつか。あの乱戦の中心にいたとは思えない軽症に、イルカは溜め息をついた。
戌面が首を傾げるのへ、苦笑を返す。
「いえ、綺麗な躰だと思って」
男の躰は鍛え抜かれ、均整がとれていた。
無駄なく締まった筋肉も見事であったが、何より、深い傷痕が見当たらないことに感心している。
「オレ、そっちの趣味ないんだけど」
「違います。そんなんじゃなく」
イルカはむきになって否定しかけた口を閉じた。男の肩が小さく震えている。笑っているかのように。
「貌は潰れて、もうグチャグチャなんだけどねぇ」
まったく真実味のない口調に、揶揄われているのだと気がついた。逆毛を撫でる皮肉な物云いは男の癖なのだろうか、いちいち癪に障る。
「その面があれば構わないでしょう」
国主の御前においてさえ武装を許される、里の力を示す陰の象徴。火影だけに従属するそれは、主の権勢の写しでもある。
イルカが舌に乗せてしまった毒に、男は笑い止んだ。
「……気が強いね。年下のくせに生意気」
年齢など口にした記憶はない。反射的に見上げたものの、面越しに表情が窺える筈もなく。
男が顎の先を上げて示したのは、棚の上の一枚きりの家族の写真。イルカがアカデミーに入学した日付が入っている。
「ま、里じゃ必要もないんでしょ」
その細心さが。
イルカには、内勤の平和呆けを嘲る男よりも、その眼に木偶同然と映っているだろう己が腹立たしい。
公にできない汚れ仕事を専門にする暗部は、苛酷な任に耐えうる優秀な者達故に、誇り高く苛烈なのだと聞く。その眼から見れば、薄甘い同朋意識から不介入の禁を犯し、暗部の手を煩わせた中忍など、ぬるま湯に漬かった屑同然であろう。
だが、それならば何故、ここにいるのかと思う。
掟を破った過ちを責めるなら、非公式にも断罪する方法はある。いくつでも。
なのに暗部が、たかが各下の忍に厭味を云う為に、高いプライドを曲げてまで弱った姿を曝すなどと、そんな道理はないだろう。
わけがわからない。
男の言動はイルカの理解を越え、神経をささくれ立たせる。
黙り込んで治療を続けるイルカに、男もまた口を閉ざした。
最後の包帯を巻き終え、救急箱を片付けると、イルカは愛想よく微笑みを浮かべた。
「お寝みになりますか?」
訝しげに頷く男の腋に腕を回し、肩を貸すのではなく、膝を掬って抱き上げ寝室に運ぶ。抱えた躰を丁重にベッドに降ろすと、男は不快げに低く唸った。
それに構わず、イルカは母親が子にするさまをなぞって男に上掛けをかけてやり、すこしばかり溜飲を下げた後、自分の布団を居間の床へ敷きのべた。
「御用があれば呼んでください」
寝室の奥へ声をかけ、室内灯を消したイルカに、抑揚のない声が訊ねる。
「どうしてあんなコトをしたの」
あんなこと。己の力で生死の際を選ぶことができる人間には所詮、その程度のこと。
「……わかりません。頭に血がのぼっていたので」
「嘘吐き」
イルカは少し考え、ドアを閉めた。
外れてはいない。
翌朝、イルカは朝靄の消えぬうちに家を出た。
任務報告を済ませるだけの予定では無駄な早起きだったが、どうやらイルカを嫌いながら居候を決めたらしい、不可解な男と顔を突き合わせていたくなかったのだ。
眠っているのか起きているのか、声をかけても微動だにしない戌面の枕元に、飲み水と握り飯を置いてきた。男が自力で起き上がれないことは承知していたが、暗部面をつけたままでは給仕のしようもないし、それを望まれてもいないだろう。
―――どうしろってんだ。
男が何を望んでいるのか想像もつかず、はやばやと帰宅を思えば爽やかな朝の空気さえ重い。
とはいえ、男の言葉を受け入れた以上は、躰が回復するまで面倒を見るつもりでいる。最低限の。
得体の知れない暗部を相手に、通ろうが通るまいが、イルカの道理は変わりようもない。
大量の買い物と書類を抱えたイルカが、憤然として帰宅したのは昼近く。
サンダルを脱ぎ捨て向かった寝室で、男は朝と変わらぬ状態で眠り続けていた。
まるで死体のような。
よくよく注意しなければ、気配も寝息も察せられないほど静かな寝相は、暗部の殺伐とした日常を思わせて、いたたまれないような気がした。
気を削がれたイルカは居間にとって返し、持ち帰った荷物を片付け始めた。
「無茶苦茶だ」
そう口にしたのは、今日二度目。
一度目はイルカが報告書を提出するなり、新たに与えられた特殊任務の内容を知らされたときに。
『一カ月間の自宅待機。但し、暗部の指示あるときは従い、任務を遂行すること。』
そんな馬鹿な話があるかと。
直接ねじ込もうにも、三代目火影は外交の為に遠国へ旅立ったという。つまり、この任務は異例にも、火影の信任を得た暗部からの要請ということだ。
戌面の男の看護が。
男が暗部でどんな立場にいるのかは知らないが、それほどに重要な者ならば、厳重に警備を立てて入院させればいい。名にしおう木ノ葉の暗部が、何も男の気まぐれに沿うように愚かな要請なぞせずとも。
―――くだらない。
くだらなすぎて、暗部の仕業とは思えない。
ふと、頭の端に引っ掛かった考えを、イルカは押しやった。
それは中忍の分ではないと思い至って。
[続]
2002/09/17〜2004/08/06
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